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神戸簡易裁判所 昭和47年(ハ)669号 判決

原告 吉岡潤治

右訴訟代理人弁護士 石原秀男

右同 古本英二

被告 桑原重

右訴訟代理人弁護士 佐藤幸司

右訴訟復代理人弁護士 松重君予

右訴訟代理人弁護士 久保田寿一

主文

1  被告は原告に対して金四万五、八〇六円を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決は第1項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「被告は原告に対し、別紙目録記載の家屋を明渡し、かつ昭和四七年四月一日から明渡済まで一か月金一万二、一四九円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決および仮執行宣言

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は被告に対し、原告所有の別紙目録記載の家屋(以下本件家屋という)を賃料一か月金六、八〇〇円、毎月末日支払の約で賃貸していた。

2  本件家屋には地代家賃統制令の適用があるところ、昭和四六年建設省告示第二一六一号によって改正された同令に基く「地代並びに家賃の停止統制額又は認可統制額に代るべき額を定める告示」(以下建設省告示という。)が昭和四七年一月一日から施行されたので、原告は同年三月被告に対し口頭で同年四月一日以降本件家屋の賃料を右建設省告示によって計算した一か月金一万二、一四九円に増額する旨意思表示した。

3  ところが被告は同年四月分以降の賃料を支払わなかったので、原告は同年八月一一日内容証明郵便で被告に対し、同年四月分から同年七月分までの未払賃料合計金四万八、五九六円を同年八月一八日までに支払うよう催告するとともに、右期間内に支払わなかった場合は本件賃貸借契約を解除する旨停止条件付解除の意思表示をし、右内容証明郵便は同月一二日被告に到達したが、被告は右催告の期間内にその支払をしなかった。

4  よって被告に対し、賃貸借契約解除による返還請求権に基き本件家屋の明渡を求めるとともに、昭和四七年四月一日から同年八月一八日までは賃料として、同月一九日から右明渡済までは賃料相当損害金として一か月金一万二、一四九円の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項認める。

2  同第2項および同項中の計算関係をいずれも認める。

3  同第3項中、原告主張のとおりの内容証明郵便が到達したことは認める。

三  抗弁

1  被告は従前の賃料額である一か月金六、八〇〇円を相当と認めたが、右賃料額では原告に提供しても受領を拒絶されることは明らかであったので、昭和四七年五月末日に、同年四月分および同年五月分の賃料として金一万三、六〇〇円、同年六月末日、同月分の賃料として金六、八〇〇円、同年七月末日、同月分の賃料として右同額をそれぞれ供託した。

なお「借家法第七条第二項の規定は地代家賃統制令がある家賃については、請求に係る増加額のうち、同令による停止統制額又は認可統制額をこえる部分に限り適用する」旨定めている同法附則第八項の規定の立法趣旨は、客観的に適正な賃料が同令による統制額を下廻ることはないことを前提に、家主の利益を保護するにあると解されるところ、統制額が昭和四七年一月一日の改正建設省告示施行以前の極端に低額な時代ならば格別、右改正により統制額が一挙に高額となった結果、もはや同項の前提とするところは失われたので、同項が強行的に適用されると解するべきではない。

2  仮に被告に債務不履行があるとしても、本件賃貸借にはつぎのような事情があるから昭和四七年四月一日現在におけるその賃料適正額は、地代家賃統制令による建設省告示が改正されたとしても一か月金一万二、一四九円には達しない。そうすると原告の一か月金一万二、一四九円の割合による催告は過大な催告であり、しかも原告は被告が客観的に適正な額の賃料を提供しても受領を拒絶することは明らかであったから、右催告は無効である。

すなわち被告は本件家屋の賃料(月額)として、昭和三六年三月まで金二、五五〇円、同年四月から金三、五五〇円、その後二回の増額を経て昭和四三年一二月までは金五、八〇〇円、昭和四四年一月から金六、八〇〇円を支払ってきたが、右各賃料はいずれも同令による統制額をはるかに越える額であり、さらに近隣の賃料に比しても高額であった。また本件家屋には畳、建具等は備付けられていなかったので、被告は賃借に当りこれらを持込んで居住したのであり、その後も原告不履行のため雨漏、颱風等による損壊等本件家屋の使用に必要な一切の修繕を被告が行い、その間被告は金二〇万円を下らない費用を支出した。また被告は原告の増額請求に当っては金一万円ならば応じてもよい旨を述べていたのにもかかわらず、原告主張のとおりの増額請求を行ったものである。

3  本件賃料債務は取立の約であったが、原告の催告は右約旨に添うものではなかった。右催告が有効としても原告は催告に係る賃料の取立をしなかった。

4  仮に被告に債務不履行があるとしても、被告は前記のとおり本件家屋の修繕を行い、必要費合計金一七万七、〇二〇円を支出した結果、原告に対し右同額の求償金債権を有するので、昭和四八年九月一八日本件口頭弁論期日、右求償金債権を自働債権として、被告の債権額と対等額において相殺する旨意思表示した。

5  仮に借家法附則第八項の適用が免れないとしても、一般に客観的に適正賃料を賃借人において正確に知ることは困難であることを考えれば、賃借人が相当と認めた賃料額と確定された適正賃料額との差額をもって債務不履行とし、契約解除の原因とすることは賃借人に酷である。またこれが解除原因になるとしても前記のごとき各事情があるので、原告の解除権の行使は、信義則に反し、権利の濫用である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項中、被告主張のとおりの供託が行われていることは認めるが、その余は争う。借家法附則第八項については、同項が同法第七条第二項の新設と同時に併せて設けられた趣旨に照せば、地代家賃統制令による統制額の範囲以内の増額賃料については、借家人はその支払義務を免れることができず、支払額に不足がある場合は債務不履行責任を負うと解すべきである。ところが被告の供託金額は原告の請求に係る統制額同額の賃料に対してそのほぼ半額に過ぎないから、債務不履行は明白である。

2  同第2項、争う。

3  同第3項中、本件賃料債務が取立の約であったこと、原告が催告に係る賃料を取立てなかったことは認める。

4  同第4項、被告が原告に対し被告主張のような求償金債権を有することは不知。

5  同第5項、争う。すなわち原告は、その増額請求に当り、請求額は地代家賃統制令に基く改正建設省告示による新統制額である旨告知したのであるから、各種法律相談の機会のある現時において、被告としては原告の右増額請求が同令に基く適法な請求であることを容易に知りえた筈であるのに、漫然と従前と同額の賃料を供託したに止ったことは責められるべきであり、これを理由に賃貸借契約を解除されてもやむをえないところである。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告は被告に対し、本件家屋を賃料一か月金六、八〇〇円の約で賃貸していたこと、本件家屋については地代家賃統制令の適用があるが、同令に基く改正建設省告示(昭和四六年建設省告示第二一六一号)が昭和四七年一月一日から施行されたので、原告は同年三月被告に対し、口頭で、同年四月一日以降本件家屋の賃料を右建設省告示によって計算した一か月金一万二、一四九円に増額する旨意思表示したこと、ところが被告はこれに対して賃料として従前の額である一か月金六、八〇〇円の割合(被告は右額をもって相当と認めたと推認できる。)による金員を供託(同年四月分および同年五月分を同年五月末日、同年六月分を同月末日、同年七月分を同月末日にそれぞれ供託。)(≪証拠省略≫によれば、原告は被告から一か月金八、〇〇〇円を提供されても受領を拒絶したことが認められるから、右額以下の一か月金六、八〇〇円の割合による提供では受領を拒絶することは明らかであり、従って右各供託はいずれもその要件を備えるものといえる。)したこと、そこで原告は同年八月一一日内容証明郵便で被告に対し、同年四月分から同年七月分までの未払賃料として合計金四万八、五九六円を同年八月一八日までに支払うよう催告するとともに、右期間内に支払わなかった場合は賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、右内容証明郵便は同月一二日被告に到達したことはいずれも当事者間に争がない。

二  そこで同年四月から同年七月までの間に債務不履行があったかどうかについて判断する。

(一)  右期間中における賃料額

賃料増額請求のあった同年四月一日における本件家屋の地代家賃統制令による統制額が一か月金一万二、一四九円であることは当事者間に争がない。ところで右統制額は本件家屋の賃料の最高限を示すに過ぎないものであって、同令はこれを超える賃料の契約(または授受)を禁じてはいるが、適正賃料が一義的に右統制額と同額に定まるべきものではない(賃料が右統制額未満であることには同令は関与しない。)。もっとも昭和四六年建設省告示第二一六一号による改正前の統制額は、昭和二七年以来基本的な改正がなされず、とくに家賃中地代相当額の部分はその算定の基礎となる固定資産税評価額を昭和三八年度の評価額とし、その資本利子率も著しく低水準であったため、近隣の統制対象外の賃料との格差が著しく、家主に過重な犠牲を強いている状況であったのであり、かかる状況にかんがみ右改正が行われたものと解される。してみると、同令の適用のある家賃については、他に特段の事情がない限り右統制額をもって適正賃料と推認することが相当であるということはできる。しかしながら本件の場合、≪証拠省略≫によれば、つぎの事実が認められる。すなわち本件家屋の賃料(月額)は、昭和三六年三月までは金二、五五〇円、同年四月以降金三、五五〇円、その後約金一、〇〇〇円の増額を経て、昭和四三年四月現在では金五、八〇〇円、昭和四四年四月以降金六、八〇〇円と推移してきたが、右各賃料とも地価の高騰および近隣の賃料増額を参考にして原告および被告間の協議によって定められてきたのであって、その間にあって地代家賃統制令による統制額については全く顧慮されず、その結果、右約定賃料額はいずれも統制額を大幅に上廻る額であり(昭和四六年度の同令による本件家屋の統制額は別紙計算表のとおり、月額金三、一六〇円であって、約定賃料は同年度においてさえ統制額の二倍を越える額であった。)、近隣の賃料と比しても決して低額ではなかった。以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

そうすると、本件家屋の賃料は、同令による統制額によって強制的に低額に制限されていたわけではなく、一応経済原則に則って継続賃料としての合理的範囲を維持しつつ推移してきたものと認められ、右事実に照せば、原告としても従来とくに過重な犠牲を強いられてきたともいえない(もとより右額の程度では高額であるとはいえないから、後記のとおり家屋の修繕等家主に過大な負担を与える可能性のある義務は免除されているというべきである。)ので、本件家屋については、その適正賃料として建設省告示改正後の新統制額を直ちには採用できない特段の事情があるというべきである。

そこで本件家屋の昭和四七年四月一日現在における適正賃料を判断すると、右認定の従来の賃料の増額幅およびその経過、昭和四四年四月以降増額がなされていない事実、そして同令による統制額が大幅に増額されたことを尊重する一方、従来統制額を超過する賃料が収受されていた事実を勘案すれば、従前の額を約五〇パーセント増額した一か月金一万円が相当である。

従って原告の賃料増額請求は右適正額である一か月金一万円の限度で有効であるから、本件家屋の賃料は、昭和四七年四月一日から月額金一万円に増額されたというべきである。

(二)  債務不履行

そうすると、被告の供託額は前記のとおり一か月金六、八〇〇円の割合であるから、右供託は債務の本旨に添ったものとはいい難く、従って効力はないから、被告は右供託をもってしては債務不履行の責を免れることはできない。なお被告は、「借家法第七条第二項の規定は地代家賃統制令の適用がある家賃については増額請求額のうち同令による統制額を越える部分に限り適用する」旨の同法附則第八項の規定は、同令による統制額が大幅に上昇した結果右統制額が必ずしも賃料の最低限を定めるものとはいい難くなった以上、強行的に適用されるべきではない旨主張するが、右見解は立法論としては格別、現段階においては採用の限りでない。従って同令の適用がある本件家屋の賃料について、統制額に満たない右供託は借家法第七条第二項の適用は受けないから、債務不履行の責を免れるに由ないところである。

三  催告の効力について

(一)  過大催告かどうかについて

前記のとおり被告の行った供託は賃料債務の一部であって債務の本旨に添わず、従ってその効力はないから、昭和四七年四月一日から同年七月三一日までの間の被告の履行遅滞額は合計金四万円となり、そうするとこれに対する原告の金四万八、五九六円に及ぶ催告は過大である。しかしその超過額は債権額の約二〇パーセント程度であることを考えれば、金四万円が正当な額であることが判明した場合にも、なお原告は右催告額全額の提供がなければ受領しないことが明らかとはいえないから、催告全部を無効とするには足りず、右正当な金四万円の限度で有効な催告というべきである。

(二)  取立の約旨違反との主張について

本件賃料債務が取立の約であったことは当事者間に争がないところ、≪証拠省略≫によれば、原告代理人は催告に対して遅滞中の賃料を同代理人事務所へ持参または送金すべき旨請求したことが認められる。しかし取立の約に反した右請求によって催告の効力までが失われるとは到底解することはできない。もっとも被告の同意のない限り右請求によって取立債務が持参債務に変ることはありえないから、被告は提供に当っては取立債務の方式に従えば足りるわけであるが、被告が弁済の準備をしたことを原告に通知、受領を催告してその方式を履践したと認めるに足りる証拠はない。従ってこの点でも催告は有効であるし、原告において取立をしなかったことを理由として被告が債務不履行の責を免れることはできない。

四  相殺の主張について

≪証拠省略≫によれば、被告は昭和三七年七月ごろから昭和四七年五月ごろまでの間に数回にわたり本件家屋の修繕を行い、そのために費用合計金一七万七、〇二〇円を支出したことが認められる。しかしながら右期間中の前記認定のとおりの賃料額に照らし公平の見地に立脚すれば、家主である原告は本件家屋の修繕義務の負担を免れているものと認めるのが相当であるから、被告は原告に対する求償金債権を有せず、従って相殺の主張は失当である(仮に求償金債権があるとしても、解除の意思表示後である昭和四八年九月一八日行われた相殺の意思表示は、解除権の発生を妨げる効果はないと解すべきである。)。

五  信義則違反の主張について

前示のとおり借家法附則第八項により、かりに本件家屋に地代家賃統制令の適用がなければ受けられるべき同法第七条第二項の規定の適用が排除されるので、被告の債務不履行の責は免れず、従って解除権は発生したというべきであるが、原告は、前記認定のごとく長年同令を全く顧慮することなく、同令による統制額をはるかに超える賃料を収受してきたのにもかかわらず、統制額が一挙に数倍に増額されたために被告の供託が同法附則第八項に牴触する機会をとらえて、同令の適用があることを有利に援用しようとすることは信義則に反するといえる。一方被告の側の事情について考えると、賃料増額を巡る紛争において一般に賃借人が客観的な適正賃料を知ることは極めて困難であるから、被告の供託額が適正賃料に満たなかったことをもって被告に不利益を課することは酷である。もっとも被告の供託額一か月金六、八〇〇円は適正額一か月金一万円に比すれば、やや少なきに失するといえるが、同法第七条第二項の適用があれば右額の供託で足りるところであったのであるから強ちその点を責めるには当らない(≪証拠省略≫によれば、原告代理人および原告は被告に対する催告に当って請求金額は同令による統制額相当額である旨告知していることは認められるが、右告知は請求額の根拠を示したに過ぎず、法律専門家でない被告が同法附則第八項についての知識を有していたとは到底認めえないから、原告から同令による統制額を告知されたのにもかかわらず、同法第七条第二項に従って従前の額を供託すれば足りると誤解したとしても信義にもとるともいえない。)。

右事情を総合すれば、原告の解除権の行使は信義則に反し、権利の濫用に当るというべきである。

従って本件家屋賃貸借契約解除は認められず、原告は本件家屋の明渡請求権を取得したとはいえない。

六  附帯請求中、昭和四八年八月一九日以降の損害金の請求は、本件賃貸借契約解除が認められない以上失当である。同年四月一日以降同年八月一八日までの賃料の請求については原告には一か月金一万円の割合による請求権が存するところ、前記のとおり被告の一か月金六、八〇〇円の割合による供託はその一部に過ぎず、債務の本旨に従ったものではないから無効であり、また修繕費の支出による求償債権は発生していないから相殺も認められないので、一か月金一万円の割合によって計算した金四万五、八〇六円全額について理由があることになる。

七  よって原告の本訴請求は附帯請求中賃料金四万五、八〇六円の支払を求める部分については理由があるから認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条本文、仮執行宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 国枝和彦)

〈以下省略〉

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